靴底が地面を叩く。痛みで顔が歪む。次の一歩。同じ作業を何千回、何万回と闇の中で繰り返してきた。いつの間にか午前0時を超え、二日目になった。胃袋が不調を訴え、吐き気をもよおしている。ポケットからビニール袋に入ったガリを取り出し、ひとつまみ口に運んだ。寿司の添え物のショウガだ。二年前に、ひょんなことから試し、思わぬ効果があるのを身を持って知った。これで何とか吐かずに済むだろう。
疲労と眠気で思考能力が低下している。時間や空間の感覚も薄れてきた。ペイサーを伴わない私の唯一の相棒である左手のガーミン。距離表示も狂い始めた。自分がいる正確な位置すら分からない。過酷な環境下で出来ることは、完走という自分に課した義務をまっとうするために、一歩、また一歩と足を前に出し続ける事だけだ。
数年前までロードのマラソンやトライアスロンをしていた。アイアンマンレースを完走して、トライアスロンに一区切りつけて始めたのがトレイルランだった。5年前のことだ。もともと、登山など自然の中に身を置くのが好きだった私には、もってこいスポーツだった。あっという間にのめり込んだ。25㎞、50㎞、100㎞と距離を伸ばし100㍄走れるようになった。制限時間内に走り切ることに拘りはしたが、タイムを気にすることは無かった。唯々、長い時間自然の中を走れることが楽しく、そして嬉しかった。長距離レース、特に100㍄と言う途方もない距離を楽しむためにはハードな練習が必要となる。然し、少しも苦にはならなかった。
最近、私がレースに臨む姿勢が他のランナーたちと少なからず違うことに気が付いた。当然、と言えば当然だが、皆タイムに拘りを持っている。早く走ることに特化したトレーニングを行い、専門家に体を診て貰ったりする。必然的にレース当日の装備も軽装となる。
私の場合は登山に近いと言う気がする。100㍄と言う長いステージを主催者が用意してくれる。通常の登山より距離が極端に長いが、コースマーキングがあり、万が一の事故への備えもある。用意されたステージ、即ち山は私にとって挑戦の場であるとともに遊び場だ。そこでどっぷり自然に浸り、道中の景色を楽しむ。時折、立ち止まって写真を撮る。タイム・ロスと分かっていても、ルートを外れて川の流れを暫し楽しむことも珍しくない。
スタートして間もなく目にした一度目の日の出。
装備はと言うと、途中での気温の変化に備え、レイヤーを多めに携行する。30時間に及ぶ長丁場を快適に楽しむためには極めて重要なアイテムだ。栄養補給も基本必要なものは自ら携行する。ドロップバッグは利用するが、水以外はほぼエイドステーションに頼らない。当然、荷物は大きくなる。さすがに双眼鏡までは持って行かないが、それなりの重量になる。途中泊のないファストパッキングのようなイメージだろうか。エイドステーションに潤沢な栄養補給食が用意されているのに、それらを利用しないのは、恐らく100マイラーとしては愚かなことなのだろう。
絶景を求めて単独で長距離を走ることも珍しくない。当然、必要な水や食料、さらには地図や防寒用のレイヤーなどは自ら背負う。タイムを気にすることなく気ままに走る旅。私の中ではレースとソロ・アドベンチャーの境界が曖昧なのだろう。然し、どちらにも共通するのは、そこに日常では得られない楽しみがあり、感動が待っているという事だ。
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闇に包まれたトレイルを照らし続けるUltraAspire Lumen 600。そろそろ光量が落ちて来た様だ。バッテリーの持続時間は最大光量で4時間。予備の電池を三つ携行し16時間分の用意をしている。止むを得ずトレイル脇に腰を下ろし2度目のバッテリーを交換した。
再び立ち上がり走り始める。100メートルも行くとオーバールック・エイドステーションの駐車場に出た。腰をお下ろす前に、少し先を確認すれば駐車場の明かり見えた筈だ。この辺りには毒性を持つポイズンアイビーが生息している。むやみに腰を下ろすものではない。やはり思考能力が低下しているようだ。
オレンジ色のリボンとその先に付けられた反射板。真っ暗闇のトレイルに数百メートルごとに吊るされた唯一の目印だ。時折、見失う事がある。その度に道を間違えたのではないかと不安に駆られる。戻ろうかと思ったとき、闇の中に光るものを見つける。ホッと胸をなでおろす。何度繰り返してきたことだろうか。小さな反射板を手掛かりに闇の中を進む。制限時間は刻一刻と迫っている。道しるべの小さな光を見過ごせば全てが終わりだ。
暗闇の中で希望を繋ぎ止める小さな道しるべ
二年前、分岐点の目印を見落とし道に迷った。真夜中すぎ。今日の様に星空がきれいだった。場所もこの辺りだろう。そして、突如現れたマウンテ・ンライオン。ピューマとも呼ばれるネコ科の大型動物。人を襲う事も稀にある。20㍍ほどの距離で暫し対峙した。不思議と恐怖心はなかった。二年の時を経て、再びあの姿を見ることが出来るだろうか。
ルート上にあるマウンテン・ライオンの警告
86㍄地点、ラトルスネーク・バー・エイドステーション。午前5時。レース開始から24時間が経過している。最後のドロップバックから予備のヘッドランプを取り出し、防寒用に頭を覆ったBuffの上から着ける。ボトルに水を入れる。そして、カフェイン入りのジェルを三つポケットに詰め込み再び闇へと向かう。
腰に付けたランプが足元に散乱する鋭利な石を照らし出す。ヘッドランプが彼方のリボンの先に吊るされた反射板を捉える。下り坂の段差。常に右膝を伸ばした状態で着地する。下りでの痛みに耐える唯一の方法だ。平坦な道では僅かにスピードを上げるが、長い距離は続かない。痛みに耐えきれず歩く。残された時間は6時間を切っている。時間内に完走できるだろうか・・・
逆境下において走り続けるモチベーションは何なのだろう。始めたことを終わらせる。ただそれだけのような気がする。好きで始めたことだ。誰に強いられた訳でもない。以前の私は全く違った。何事にも飽きっぽく、自らの意思で始めたことを、ことごとく途中で投げ出した。何が私を変えたのだろうか。
先ほどま漆黒の闇に覆われていた東の空。朧げに山の輪郭が見えてきた。その背後には紫色の帯が広がる。薄っすらと光を放つ帯。やがて希望の色へと変わって行くだろう。二度目の夜明け。長い闇から解放された安堵感が冷えた体と心を温める。僅かながら強さを増した心に支えられ、一歩、そしてもう一歩と足を進める。諦めずに進み続けた先に何かがある。追い求めるに値する何かが。
長い夜を乗り超え迎える二度目の夜明け
最後のエイドステーションであるグラナイトビーチ。太陽がまぶしく降り注いでいる。永遠に続くかと思われた闇は既に過去のもだ。あたりはボランティアの人たちの温かい声援と笑顔で満ち溢れている。注がれる笑顔は疲労困憊した体に吸収され、残された4.5㍄を走り切るためのエネルギーとなる。昼夜なく無償の奉仕を提供するボランティアの人々に大声で礼をのべ、立ち止まることなく通過した。ここまでくれば水も補給食も必要ない。残された僅かな力を振り絞るのみだ。
視界に見覚えのある堤防が飛び込んできた。左手には長年にわたる干ばつで水位が極端に下がったフォルソム湖が横たわっている。20数時間前、往路で力が漲っていた脚で走った堤防。傷ついて棒切れの様になった脚で再び走る。着地のたびに奥歯をかみしめ激痛に堪える。一度は痛みを緩和してくれたマグネシウム。その後も藁にすがるような思いで塗り続けたが、肌がヒリヒリするだけで効果は感じられなかった。泣いても笑っても残り2㍄。最後は何が何でも走りたい。踏み出す。激痛に顔が歪む。更に一歩。歩く訳には行かない。
あたりは霧に覆われている。風が吹く。その風に乗ってゴール脇の歓声が聞こえてくる。完走者を称えるマイク越しの声。聞こえる。あと僅かだ。
再び風が吹く。束の間霧が晴れる。緑色のアーチ。100㍄の旅の終着点が見えた。手の届くところにゴールがある。
100㍄レースのゴール。しかし視界の先にある、あのゴールが終わりではない。その先にある何か。それを探し求めて旅は続くのだろう。そんな私の背中を押すように風は吹き続けることだろう。
痛みで顔を歪めてのゴール。もう少しまともな顔のゴール写真が欲しかった
エピローグ:
レース後、一週間。膝の痛みもほぼ完治して、そろそろ走ろうかと思っていたある日。左足の親指の隣の指(手でいう人差し指)が赤く腫れているのに気が付いた。ちょっと痛みもあった。初めは虫刺されかな、程度であまり気にしなかった。しかし日を追うごとに腫れと共に痛みが増し、三日目には歩くのも辛いほどになった。疲労骨折かと思ったが、レース中に痛みはなく、一週間も経過してから発生というのが引っ掛かった。そして四日目、痛みは引くどころか悪化していた。ちょっとヤバそうだなと思い病院へ行った。
診断の結果はなんと「痛風」。痛風と言えば、アルコールやプリン体の接種過多によるものと言うイメージしかない。まさかと思い、先生に何度も聞き返した。返って来た答えは、レントゲンの結果、骨折でないのは確かなので、痛風で間違いないだろうとの事。曰く、激しい運動や極度の精神的・肉体的ストレスが痛風発作の誘因になることがあるらしい。走っているだけで痛風になるのかと聞くと、「100 mile is crazy long ! ただ走っているだけじゃないでしょう、凄いストレスに決まってるじゃない」と、ちょっと呆れた顔で処方箋を出してくれた。
青天の霹靂の痛風。レース後に解禁して、ひたすら飲み続けているテキーラが一役買っているのは間違いないだろう。「100㍄のゴールの先にある何かを探し求めて・・・」と気取った事を言ったものの、背中を押しくれる筈だった風は「痛風」だった、という情けないオチとなってしまった。
By Nick D
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