風に乗ってゴール周辺の歓声や熱気が運ばれてくる。完走者を称えるマイク越しの声が聞こえる。濃い霧と湖の畔に茂る木々に遮られ、未だ緑色のアーチで飾られたゴールは見えない。残された距離は1㍄を切っているだろう。あと数分で100(160)の旅が終わる。心と体が震えている。それは喜びや達成感よりも、むしろ安堵から来るものだろう。

極限に達している疲労、距離に比例するように増幅してきた膝の痛み。それら全てが過去のモノとなろうとしている。この瞬間のために何百時間というトレーニングを積んできた。犠牲にしてきたものも少なくない。込み上げてくる熱いものと共に、
100㍄完走のために費やした数か月間の一瞬一瞬が思い起こされる。

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振り返る事20数時間前。まだ序盤の28㍄地点辺りで右膝が痛み始めた。初めは僅かなものだった。それが針を刺すような痛みに変わるのに、それほどの時間は要さなかった。膝の痛みはいつものことだ。後半のどこかで痛み出すであろうことは覚悟していた。然し、100㍄レースの28㍄地点。三分の一にも満たない地点は全くの想定外だった。ゴールまで残された距離は70(112)以上、時間にして20時間はくだらない。こんな脚で山道を100㎞以上も走り通せる筈がない。痛みが強くなるにつれて、恐怖心が頭を支配し始めた。

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痛む膝を堪えて走る。まだ先は長い

それは
DNF( Did Not Finish)に対するものだったのか、あるいは走り続けることによって起こり得る、膝への深刻なダメージに対するものだったのかは定かではない。唯々、無性に怖かった。
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午前5時前のスタートライン

Rio Del Lago 100㍄。北カリフォルニア、サクラメントの東に位置するフォルソム湖を起点とするレース。世界中のランナーの憧れであるウェスタンステイツ100WS100)の参加資格を得るレースに指定されている。私自身もこれまでに3回申し込んでいるが、未だ幸運の女神は微笑でいない。WS100へのパスを得るには、このレースを何がなんでも完走しなければならない。

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ルート上にあるウェスタンステイツの表示

レース序盤から歩いていては、その先にある6つのカットオフに間に合う見込みはない。完走するためには走り続けるしか選択肢はなかった。膝をかばって無理な走り方をしたためか、やがて足の甲も痛み始めた。靴ひもを緩め圧を下げるが、痛みを和らげる効果はない。


36㍄地点、ラトルスネーク・バー・エイドステーション。スタートしてから約7時間半。右膝の針を刺すような痛みは、釘を刺すような痛みへと変わっていた。この先、80㍄地点まで平坦な道はない。絶え間ないアップダウンが続く。膝への負担は更に大きくなるだろう。ハイドレーションパックを背負う背中は汗で滲んでいる。

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45㍄地点、オーバールック・エイドステーション。坂を上り詰めた先で家内が待っていた。膝の不調を訴え、いつになく弱気な私に心配な表情を隠せない。このまま痛みが続けば、途中のカットオフに間に合わず、完走出来ないかもしれないと告げた。同時に、途中いくら辛くても自分からギブアップはしない事を約束した。「一生懸命トレーニングをしたんだから必ず完走できるわよ」と、力強く背中を押されエイドステーションを後にした。


新型コロナ・パンデミックを挟んで
2年ぶり、2度目となるRio Del Lago 100㍄。前回にも増してトレーニングを積み、万全の体調で臨んだ筈だった。「Train hard and enjoy the race」。精一杯のトレーニングをし、レースを楽しむのが信条だ。

2年前のレースで山の精霊に遭遇したときの様子はコチラから

タイムに拘りは無い。従ってトレーニングは早く走るためより、長く走ることを目的として行う。昼夜に及ぶ長丁場のレースを始終楽しむのは容易なことではない。100㍄ともなれば、苦しいことの方が多い。極度の疲労は勿論のこと、メンタル・スイングと呼ばれる繰り返し訪れる精神面でのハイとロー。胃袋をかき回されるような吐き気、更には経験したこともないような身体の痛み。然し、トレーニングを積むことにより、それらを克服、あるいは誤魔化す術を身に着けることが出来る。その先にあるのが、過酷な環境を楽しむマインドセットだ。

 

今回もレースを心行くまで楽しむ筈だった。然し、ここまでは全く正反対の展開と言わざるを得ない。絶え間ない激痛、それに伴う不安と恐怖、行く手に待つ長く孤独な闇。ともすれば萎えそうな心。それを鼓舞するには、次の一㍄、次のエイドステーションに意識を集中させるしかない。


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ノーハンズ・ブリッジ。名前の由来の通りかつては手摺が無かったらしい。

49㍄地点。WS100のルートとして有名なノーハンズ・ブリッジ。橋を渡った先にあるエイドステーションで水補給だけ受けて、上りの途に就いた。目指す先は次なるエイドステーション。10㍄先にあるオーバーン・レイクトレイル (ALT)。そこにあるはずのドロップバッグには、予備の靴、アンメルツ、そして筋肉疲労に効果があると言われるマグネシウムが用意してある。

マグネシウムはトレーニングで何度か試しており、それなりの効果があるのは確認している。然し、耐え難いほどの痛みに対する効果は全くの未知数だ。
28㍄地点で膝が痛みだしてからというもの、何か希望を見出せなければ、走り続けることは出来なかった。数十㍄の彼方にある、効果のほども定かでないマグネシウム。それが唯一の希望だった。

その希望に手が届く前に、ゆっくりと、しかし容赦なく闇がトレイルを覆っていった。 

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59㍄地点、ALTエイドステーション。ドロップバッグに忍ばせていたアンメルツを時間をかけて両膝、足の甲、太ももに塗った。乾くのを待ち、同じようにマグネシウムをマッサージしながら塗り込んだ。シューズもアルトラ・オリンパスから思い切ってローンピークに履き替えた。

 

エイドステーションを後にして5㍄。走り続けた。右膝の激痛と足の甲の痛み。両方とも嘘のように和らぎ、歩かずに走れるまでに回復していた。それがマグネシウムの効果によるものか、プラセボ効果によるメンタル的なものかは定かではない。何れにせよ、この効果がいつまでも通くと考るほど呑気ではない。2~3時間だけでも走り続けることが出来れば。77㍄地点のオーバールックまで保ってくれれば・・・。唯一の望みは、制限時間内での完走のために必要な僅かな時間稼ぎだ。オーバールックまで走ることが出来れば、残りの20数㍄は早歩きでなんとかなる。望みを繋ぐことが出来る。

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深い溝の様なシングルトラック

淡い期待は呆気なく裏切られた。効果のほどは長続きしなかった。
100メートル走り、痛みに耐えきれず歩く。そしてまた走る。暗闇の中で延々とその作業を繰り返す。

 

69㍄地点、クール・ファイヤーステーション。午後11時半。椅子に座り、手袋を外す。そして祈るような気持ちでアンメルツとマグネシウムを擦り込む。両隣には座ったまま動かない男女のランナー。遠くの闇を見詰める目に力強さは無い。声を掛けるが返事は返ってこない。心が完全に萎えているようだ。同じゴールを目指すものとして心が痛む。彼らが再び立ち上がり走り出すことはないだろう。

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椅子に腰かけ遠くを見るランナー二人。再び走ることが出来ただろうか。

自らに意識を集中させる。気温がだいぶ下がって来た。体が冷えれば気持ちが萎えて動けなくなってしまう。長居は無用だ。ウィンドブレーカーを羽織り、エイドステーションの陽気な音楽と光を後にし、再び静寂に覆われたトレイルへと向う。ヘッドランプが照らす先には数分前よりさらに暗さを増した闇が横たわっていた。

後編はコチラから





By Nick D