川沿いのトレイルは山道に変わり、やがて急勾配の登りとなった。背後の夕焼け空は既に色褪せて、夜の訪れを告げている。気温も下がり始めた。開けた場所で立ち止まり長袖のレイヤーを着込む。帽子のつばを後ろ向きに変え、ヘッドランプを装着し夜の準備をする。まだ暫くはランプの明かりは必要なさそうだ。後方から追いついてきた大柄なランナーは、「 日が暮れてよかったぜ」、みたいな言葉を呟きながら、横を通り過ぎて行った。暑さが苦手なのだろうが、これから訪れる夜に不安はないのだろうか?ここから12時間以上に及ぶ、長い試練が始まる。

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トレイルランニングランキング

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(夕暮れに染まるアメリカン・リバー。これから長い闇が待っている)

闇は静かに、そして容赦なくトレイルを覆った。
1時間半ほど走っただろうか、午後745分。日没後、初めてのエイドステーションに着いた。59マイル(94㎞)地点。今回のルートの最北端、一番遠いところに位置するアウバーン・レイク・トレイル・エイドステーションである。ボランティアが持って来てくれたドロップバッグを抱え椅子に腰を下ろした。
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(闇の中のエイドステーション。ドロップバッグは後方のテントの中)

バッグには、ティーシャツの替え、予備のシューズとソックス、そして厚手のレイヤーが補給食とともに入っている。今朝の冷え込み具合から見て、今晩もそれほど気温は下がらないだろう。天気予報は事前に何度も確認してある。厚手のレイヤーをバッグに戻した。ティーシャツを着替えるか迷った結果、厚手のレイヤーの代わりに、シャツの二枚重ねとした。多くのランナーは途中でソックスやシューズを履き替える。予備のシューズは用意してあるが、グランドキャニオン南北リム往復の際にも使った、愛用のアルトラ・オリンパスは、ここまで期待を裏切ることなく、快適な走りを提供してくれている。しばし考えた後にソックスと一緒にバッグに戻した。


絶景連続のグランドキャニオン往復72㎞ランは、こちらから。


隣には
30歳代くらいの男性が座っている。先ほどから背中を丸め、頭を両膝に埋めるような姿勢で、ほとんど動いていない。調子が悪いのは一目瞭然ではあるが、敢えて「How are you doing buddy ?」と尋ねると、「いつもはもっと調子いんだけどな」と、返事だか独り言だか良くわからない呟き。コーラでも飲むか?と尋ねると、「大丈夫だ、気にしないでいいよ」と声のトーンもかなり沈んでいる。名前を聞いたが、覚えていないので、とりあえずボブと呼ぶことにしよう。

フルマラソンを走ったことがあるランナーなら、経験したことがあると思うが、レース中は少なからず気持ちの浮き沈みがある。距離・時間が延びるほど、このムード・スイングは大きくなる。100マイルレースともなると、気分が高揚するハイはどこまでも高く、逆に落ち込んだ時のローは何処までも低くなると言われる。山深いトレイルでロー状態に陥った場合は、途中で止めたくても逃げ道は無い。トボトボと次のエイドステーションまで歩くのが、唯一の選択肢であるが、その間に立ち直るランナーも多い。

一方で、ボブの様に、エイドステーションで気が萎えてしまうと、また立ち上がって走り出すのは至難の業である。過去にも、エイドステーションで座ったまた気力を失い、途中リタイヤを余儀なくされた選手を幾度となく見てきた。程度の差こそあれ、誰でもが経験するローの状態を、如何にやり過ごすかが完走のカギとなる。ウルトラマラソンが、メンタルがモノを言う競技だと言われる所以である。この後、ボブは再び立ち上がって、再び走る事ができたのだろうか?後になって知ることだが、
370名ほどが参加した今年のRDL100。完走者は244名。好天に恵まれた大会であったが、三分の一に当たる126名がゴールに辿り着けなかった事になる。

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(ハニーストリンガー・ワッフルとクリフバー。30分おきに半分を目処にカロリー補給)

気になっていた胃のムカつきが、ひどくなっている。吐くほど調子が悪いわけではない。幸いにも、腹を下してもいないので、まだ行けそうだ。然し、ここで栄養補給を切らす訳にはいかない。漸くポケットに忍ばせているガリを試す時が来たかもしれない。


オレゴン州ポートランド出身のナイスガイ。マイケルという陽気なランナーに会った。歳のころは
30代前半だろうか。過去に5100マイルレースを完走しているという。トレイルに落ち着きなく、独り佇んでいたところ追い着いた。どうしたんだと尋ねると、「前方でガサガサ音がしてたんだ、マウンテン・ライオンかもしれないんで、誰かが来るのを待ってたんだよ」。昨年、このレースのルート上で、友人がマウンテン・ライオンを見たという。かなり慎重(臆病)になっているらしい。音のした方向をランプで照らし確かめるが、それらしい気配は無い。ここで立ち往生している訳にはいかない。意を決して二人で暗闇に足を踏み出した。

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ロサンゼルスから来たと言うと、最近、彼女がロスに引っ越したため、自分も引っ越しを考えているという。聞いてもいないのに、身の上話をするマイケル。足の進め方はかなり慎重だ。マウンテン・ライオンで臆病風を吹かせたかと思いきや、
Western States 100WS100)の申し込み権を得るために、怪我をせず、完走ありきで今回のレースに望んでいるらしい。岩がゴロゴロして、足元が悪く走り難いのは、今に始まったことではないが、夜間は更なる注意を必要とする。無理は禁物だ。WS100には3年連続で申し込んでいるが、幸運の女神は微笑んでいない。このレースを完走して4度目の申し込み権を確保する事が最優先だという。WS100とは世界で最初の100マイルレースと言われ、過去に数多くの伝説を生み出してきた大会だ。トレイルランナーであれば一度は夢に見るレースである。
 

先ほどのボブとは打って変わって、マイケルは天然のハイで、夜道のトレイルを楽しんでいるようだ。このレースは無情にも、こんな陽気な男でもローの闇に引きずり込むのだろうか?


伝説のWS100については、こちらをクリック

 

孤独なトレイルでは、様々なことに思いを馳せる時間が嫌と言うほどある。走っている間に何を考えているのかと、よく聞かれる。正直言って何も考えていない。「無の境地」などという格好の良いものではない。おそらく、何も考えていないのではなく、覚えていないのだろう。朝起きると、今しがた見た夢の記憶が定かでないようなものだろうか。敢えて言えば、食べ物の事。と言っても、レースが終わったら焼肉食べたいなぁとか、ビールが飲みたいなぁという事ではなく、「この辺りでジェルで100kカロリー補給しなければならない」、「次のエイドステーションではボトルに2時間分の粉末ドリンクが必要だと」と言った栄養補給である。

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(エネルギーの主な補給源として使ったTailwind。一袋200kカロリー/時が目処)

この急こう配の坂を下り切れば、次のエイドステーションにつくだろう。往路でも立ち寄った、
70マイル(112㎞)地点に位置するノーハンド・ブリッジの筈だ。右膝に痛みがある。いつ始まったか、明確な記憶は無い。徐々にというよりは、気が付いたら、かなり痛みがあったという感じだ。ここまで、いささか順調すぎたような気もする。膝の痛みくらいは致し方ない。


レッドブルのアーチで飾られたノーハンドブリッジ・エイドステーション。午後
11時過ぎ。この辺りのルートはWS100のコースの一部と聞いている。過去に二度にわたって抽選に外れているWS100にひと時、思いを馳せる。夜は長い。いつものように、どうせ忘れてしまうだろうが、暫し思いにふけるのも悪くない。

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もう暫くすると、日付が変わるだろう。右ひざの痛みが気になる。平らな道や、上り坂では何とか走れるが、下坂では強い衝撃がかかり激痛が走る。まだ先は長い。無理はしないでおこう。

23時間前まで不調を訴えていた胃は、一か八かで試したガリが効いたのか、すこぶる調子がいい。ポケットに忍ばせていた袋は、いつの間にか空になってしまった。聞いた時には一瞬呆れた、妻のひらめきに救われたようだ。胃腸同様に、メンタル面も、ここまではしっかり持ち堪えており、最悪のロー状態には陥っていない。疲労も限界までには未だ余裕がありそうだ。それでも、不安がないわけではない。夜明けはまだ先である。

 

昨日の午後に妻と落ち合った、オーバールック・エイドスレーションに再び戻ってきた。前回ここに立ち寄った時の様な賑わいは無い。それもその筈、時刻は午前1時を回っている。エイドステーション脇に用意されている椅子には、ぐったりして動かないランナーが座っている。私自身、これまで着替えのために3度、腰を下ろしているが、いずれの場合も敢えて長居はしなかった。夜になって立ち寄ったエイドステーションでは、何人ものギブアップ寸前のランナー達に会った。同じチャレンジに望んでいる者として心が痛む。
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(エイドステーションの距離や到着予定時間、カロリー補給プランなどを記した表。完走予定タイムは29時間)

トレイルレースは、「レース」とは呼ぶが、先頭を行くエリート・ランナー達を除けば、他のランナーとの競争ではない。皆、励まし合い、快く助け合う。レースは、あくまでも自分自身との闘いである。先ずは、最後まで諦めずに完走する事。そして、レースが終わってから、多くのランナーが自分自身に問い掛けるのは、納得いく走りが出来たか、昨日の自分に勝てたか。それにも増して重要なのは、「Am
 I one step closer to the man I want to be ?」、理想とする自分に一歩でも近づくことが出来たか、ではないだろうか。


ここから先の
25マイル(40㎞)で、今回のチャレンジの真価が問われる。夜明けは未だ、遥か前方に連なる山々を超えた彼方にあり、その欠片さえも見えない。「70マイルから本当のレースが始まる」という言葉を今一度思い出す。気持ちは萎えていない。蓄積した疲労は時折、脳に無理をするなと信号を送るが、それを誤魔化せるだけのトレーニングは積んできた。74.5マイル地点。オーバールック・エイドステーションの灯と人の温もりを背中に感じながら、未知の世界に足を踏み出す。
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(わずかな光を放つリボンの先につけられた反射板)

最後に目印のオレンジ色のリボンを見たのはいつだろう。道を間違ったのだろうか。そんな筈はない。後ろを振り返り、ヘッドランプの光を探すが、後続のランナーの姿は見えない。そこにあるのは漆黒の闇だけだ。もう少し行けば、リボンがあるだろう。反射板を探すべく、遥か前方を照らしながら走り続ける。行く手に光るものは見当たらない。見上げた夜空には、北斗七星が輝いていた。

その4、最終章「二度目の夜明け」に続く。


By Nick D