寒さで震えが止まらない。手足の震えだけではない。歯もガタガタと音を立てている。5時間以上も降り続いた雨が、頭から爪先に至るまで全身を覆い、体は芯まで冷えきっている。濡れた体でのバイクは、気化熱でコンスタントに体温が奪われるため、時間の経過に伴い、体の表面のみでなく、体内の温度まで無常なまでに下げる。体温を維持するためには全力で漕ぎ続けるしかない。数時間に渡ってペダルを廻し、疲れと寒さに耐えてきた。バイクが終われば、多少は寒さが和らぐだろうと言う期待はあったが、見事に裏切られた。

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11月のアリゾナ。アイアンマンレースのT2と呼ばれる、バイクからランへのトランジッションを行うエリア。仮設テントの中。ここまで3.8kmのスイム、180kmのバイクを終え、残すは42kmのランのみ。鍛えた体をしたボランティアの青年がゼッケンを見て、ラン用のシューズなどが入ったトラジッション用のバッグをもって来てくれた。着替えのために椅子に座ったところまでは良かったが、震えがひどく濡れた服を脱ぐことも出来ない。この姿勢で既に数分が経っている。寒さで気持ちが萎えてしまっているようだ。もう、これまでか・・・
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(3千台以上のバイクが並ぶスイムからバイクへのT1ステーション)
 

思えばこの一年間、この日のために多くを犠牲にし、多大な時間を費やし、過酷なトレーニングにも耐えてきた。降り注ぐ太陽の下、ボランティア作業に従事し優先申し込み権を得、念願のアイアンマン・アリゾナの出場権を獲得したのは一年前。遥か昔のような気がする。
 

一年前にボランティア中に怖気づいた時のストーリーはこちら:

http://nick-d.blog.jp/archives/14597440.html


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(一年前は快晴で気温は30度を超えていた。アリゾナの砂漠では気温が50度近くまで上る事も珍しくない)
 

経験が物を言うトライアスロンだが、レース経験は少ない。オープンウォーターでのスイムは極めて苦手。恐怖心を克服すべく、ひたすら練習に励んだ。灼熱の太陽が振り注ぐアリゾナの砂漠を想定して、40度を越える炎天下でのバイクトレーニングを夏中行った。ブリックトレーニング中にエネルギー不足で一歩も動けなくなった事もあった。その後、自分にあった栄養補給食を探すべく、様々なジェル、ドリンク、エナジーバーなどを試したが、疲労困ぱいした胃袋が受け付けず、走りながら吐いた事も一度や二度ではない。
 

トライアスロンのクラブに属さず、一緒に練習する仲間もなく、周りにアドヴァイスを請うトライアスリートの知り合いもいないため、すべて独りで試行錯誤の繰り返しだった。練習に練習を重ね、満を持して望んだアイアンマン・アリゾナ。まさか、灼熱の太陽とサボテンで知られるアリゾナで、一日中冷たい雨に降られ、寒さに震え動けなくなるとは、何と皮肉な事だろうか。

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7時のスイムスタート。水温は低かったが、事前準備は万端。苦手のスイムを少しでも楽にするために、グローブ、ブーツ、頭をすっぽり覆うキャップを準備していた。低水温は苦にならなかったが、それでも泳ぎが速くなるわけではなく、何とか制限時間ギリギリの2時間でゴール。一番の難関であったスイムを終え、その時は既にアイアンマンの称号を手に入れた気分で浮かれていた。朝9時の空気は肌寒く、途中で捨てるつもりで長袖を羽織り、バイクでサボテン群生地へと向かった。
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(スイムは苦手。寒いのも苦手。万全の準備でスイムに望む)
 
気持ちよく風を切って走っていたのは、僅かの間。曇り空から水滴が落ちてきたかと思うと、あっという間に本格的な雨に。ここから寒さに耐える修行僧のような試練が始まる。事前の天気予報では一日中曇り。アリゾナの砂漠での雨は全くの想定外。周りにもレインウェアーを着ている選手はいない。雨脚が強くなると、ビニール袋を被った選手が目立つようになる。とてもアイアンマンレースとは思えない、何とも格好悪い姿。その後、日が昇っても気温は一向に上らず、体温は奪われるばかり。エイドステーションで配られている筈のビニール袋を探すが見当たらない。


寒さで全身が震えている。
2周目の折り返し地点で、漸く黒のビニール袋を調達するが、効果は気休め程度。この寒さの中、未だ1.5周残っている。念願のアイアンマン、格好いいレース写真を期待していたが、現実はゴミ袋を被った惨めな姿。
 

指先の感覚は既になくなっている。悴んだ手でパンク修理は不可能だ。ここで万が一パンクでもしたら・・・気持ちが萎えていると、ついマイナス思考になってしまう。時間が異様に長く感じられる。周りには選手の姿がない。皆どこへ行ってしまったのか。寒さを堪えながらペダルを廻し続け、何とか制限時間以内にT2に到着。震えは収まるどころか、更に酷くなっている。
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(バイクスタート直後。どんよりとした空。この後、延々と雨が続く)
 

T2の仮設テントで、用意しておいた栄養補給食クリフバーを取り出す。離乳食のような塩入スイートポテトを口に含むが、飲み込むことが出来ない。慣れ親しんだ味の筈だが、耐え難い不味さ。疲労した体が拒絶反応を起しているのか、それとも、頭がもう無理するなというメッセージを送っているのか。T2での栄養補給を当てにして、バイクでは主に水分でのカロリー補給をしてきた。ここで纏まったカロリー摂取しなければ、たとえ立ち上がれたとしても、直ぐに動けなくなるのは分かりきっている。DNF (Did Not Finish) が頭にちらつく・・・
 

やっとの思いで濡れたウェアーを着替える。少し寒さが和らぐが、手足の震えは未だ続いている。水が滴る靴下は、履きかえなければならない。持参してきたのは、指つき靴下。後悔するが時遅し。途方に暮れながら、凍える手を動かしていると、先ほどのボランティアが近づいてくる。何と悴んだ足を手で暖めてくれて、指つきの靴下を履かせてくれた。そして、「俺も同じような思いをしたことがあるので気持ちは良く分かる。辛いけど頑張れ」。靴下を履かせてもらい、暖かい励ましの言葉を掛けてもらって立ち上がらない訳にはいかない。辛いのは、みな同じだ。塩入スイートポテトは諦め、カフェイン入りのジェルを無理やり口に流し込み、漸く42kmのランへ向かったのはT2に入ってから15分後。
 

重い足を引き摺って走り始めた頃には、雨は小康状態。一旦走り始めると、体も暖まり不思議と力が戻ってくる。途中のエイドステーションで振舞われる暖かいチキンスープを口にすると、俄然元気が出てくる。先ほどまでの惨めな濡れネズミは嘘のよう。頭の中では、トレーニング中にいつも聞いていたロッキーのテーマがなり響く。すっかりご機嫌で、ランナーズハイ状態。悪天候の中で献身的に働くボランティアの人達に大声でお礼の言葉を掛ける余裕まで。我ながら、呆れるほどのお調子者である。先ほどのボランティアの青年とチキンスープはまさに救いの神。時折、小雨がぱらつくが、気持ちは全く萎えていない。疲労でトボトボと歩くランナーを横目に、休むことなく脚を動かし続ける。
 

体は疲労困憊しているはずだが、気持ちは高揚し、疲れはさほど感じない。エイドステーションで水やスープを受け取る以外は、立ち止まらず走り続ける。膝が少し痛むが気になるほどではない。相変わらず、ロッキーのテーマは鳴り止まない。時折、インディージョーンズのテーマを口ずさむ。後は「You are an Ironman !」を目指して、ひた走るのみ。

後半になって、ペースを維持するどころか、スピードは上っている様である。レース終了後に知ることだが、最後のランで
678順位を延ばしている。
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(沿道からの祝福を受けて、はしゃいでハイタッチをするが、レンズの曇りで周りはあまり見えていない)

暗闇の中、沿道からの声援を受け走り続けること
4時間40分。遠くから大音量で流れるロックやゴールの様子を実況中継するアナウンスの声が聞こえてくる。感極まって目が潤み始める。ゴール写真は格好良くありたい。涙を隠すべくサングラスを掛ける。レンズが一気に曇る。よく見えないまま、最後の数十メート。両側からは何百人もの声援と祝福。何処かに家族がいるはずだ。周りを見渡すも、レンズの曇りと興奮で何が何だか分からない。最後の瞬間を楽しむ筈が、興奮で自然とスピードが上る。そしてあっという間に感動の「You are an Ironman !」ゴールをくぐり、メダルを受け取る。「あれ、ゴールの喜びを分かち合う筈の家族はどこに? ヤバイ、見逃してしまった・・・」
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(念願のアイアンマンのゴール。タイムは決して早いとは言えないが、目標時間の15時間を下回る14時間40分。3千数百人中、1713位)

その後、暫くしてゴール脇で家族の祝福を受ける。曰く、ゴールの少し前で待っていた家内と娘の横を猛スピードで素通り。少し離れてゴール付近にいた息子にはハイタッチをしたとの事。曇ったレンズで見えないまま多くの観衆にハイタッチをした。その一人が息子だったようだ。何と言っても念願のアイアンマンのゴール。ここまで私の身勝手な挑戦を支えてくれ、今回も渋々アリゾナまで来てくれた家族には申し訳ない気分。「ごめん、次回はちゃんと見つけるから」と詫びると、3人揃って「え~、一生に一度の挑戦って言ってなかたっけ?」

 

ワンポイント・アドバイス
 

アイアンマンレースの栄養補給

スプリントから始め、オリンピック・ディスタンス、ロング(またはハーフアイアンマン)と徐々に距離を伸ばしていくと、異なった課題が見えてきます。距離が短いうちはスイム、バイク、ランと、それぞれの種目で練習を重ねる事でそれほど無理なく完走できます。距離が伸びるに従って、ブリックトレーニングと呼ばれる複数種目を続けて行うトレーニングが重要になります。特にバイクの後のランは慣れないと思いのほか辛い思いをします。ロングからアイアンマンの距離になると、体を動かしている時間が一気に延びるため、これらのトレーニングと合わせて栄養補給が極めて重要になります。私の場合は、トライアスロンに次いで、ウルトラマラソンを始め、栄養補給の重要さを更に痛感しています。
 

アイアンマンなど10時間を越える長時間レース完走のためには、トレーニングのプランと合わせて、栄養補給プランを立てる必要があります。充分なカロリー摂取を怠ると、ハンガーノックと呼ばれるエネルギー切れの症状で全く動けなくなります。また、疲労と継続的な振動で消化機能が落ちた胃袋に食料を入れると、吐いてしまったり、下痢を起すこともあります。どちらの場合も必要なカロリーを摂取できないためレースを継続することは不可能。
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(愛用のテイルウィンド粉末ドリンクとハニーストリンガー。ハニーストリンガーはジェルとワッフルがお気に入り)
 

栄養補給のプランを立てるに当たっては、様々なものを試して、自分にあったカロリー源を見つける必要があります。私の場合は、プロテインが多く入った食べ物やドリンクは胃が受け付けないようです。何が自分に合うかを正確に把握するためには、ある程度レース環境に近い疲労状態に身を置く以外に方法はありません。
 

必要なカロリーは、個人差がありますが、私の場合は、一時間に300kカロリーを目安にしています。粉末ドリンク、ジェル、エナジーバーが主な補給食。あまりピンと来ないかもしれませんが、何時間も同じものを無理やり食べるのは楽ではありません。ついては、色々なものを試して、ある程度バラエティーを考慮した補給食を準備することをお勧めします。塩入スイートポテトはかなりキツイので要注意。。更に日頃から、食事後直ぐにトレーニングをしたり、短い距離でも食べながら走ったりして体を慣らすのもお勧めです。

アイアンマンを無事完走して、トライアスロンはひと段落。このあとハマったのがトレラン。先ずは、リム・テゥー・リムと呼ばれるグランドキャニオン横断から。灼熱の渓谷走破レポートをどうぞ。
http://nick-d.blog.jp/https:/lumina-magazine.com/archives/news/7531
 

By Nick D.