アンデスの高山にあるチチカカ湖は世界で最高所にある航行可能な湖。湖面は何処までも碧く、その色は空気が澄み切った高地特有の空と色と絶妙にマッチし、神秘的な佇まいを醸し出している。

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インカの歴史を遡るマチュピチュへの旅を終え、高山列車に乗って次に向かった先は、ボリビア国境に程近い、チチカカ湖畔にある街プノ。標高は海抜3800m超。

 

インカトレイル、マチュピチュへの旅は、こちらを


ペルーの山岳地帯では、未だ多くの民がインカの言葉であるケチュア語を話すが、ここチチカカ湖でもその末裔との人々と会うことができた。

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浮島の上で暮らすウロスの民。赤ん坊を後ろに寝かせ調理中。火事で家が焼けるのを防ぐために調理は外で行う


チチカカ湖の沿岸には多くの葦が自生しており、それらの枯れたものが積み重り、ロス・ウロス( Los Uros)の浮島として知られる、陸地の無い独特な島を形成している。浮島は20程度あると言われているが、それらの多くは湖の西側、カパチカ半島とチュクイト半島に挟まれ波の穏やかなプノ湾に点在している。
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これらの浮島には古くからウロスと呼ばれる民が生活し、かつてはプキナ語と呼ばれる独特の言語を話していた。然し、そのプキナ語は消滅し、今はアイマラ語やスペイン語が主流になっている。私が、そこを訪れた
1992年当時、ウロスの民は数百年前とあまり変わらない生活を営んでいた。アンデス原産の芋やトウモロコシを主食とし、主なタンパク源は湖に生息する鱒の仲間のテゥルチャ・ロサ(ピンク鱒)。鮭に似ており、とても美味しい魚だ。

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家の作りはシンプルで一部屋のみ。集落を作って暮す

25年前には、伝統的な生活を守る島の民にカメラを向けるのを躊躇させるような雰囲気があったが、最近では彼らの生活も様変わりし、訪れる観光客に土産物を売ったり、写真を一緒に撮ったりして、主たる収入を得ているそうだ。

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葦で作った船。浮遊力は高いが不安定。船を作る原材料には事欠かない
 

湖には浮き島とは別に陸地のある、れっきとした島も幾つかある。その一つがアマンタニ島。周囲10km程度の小さな島にはケチュア語を話すインカの末裔の人々が3,500人程暮していた。
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アマンタニ島。段々畑のようなものが見える

島にはホテルは無く滞在場所は民家のみ。私も礼金を払い、アドベと呼ばれる日干しレンガで作った家に泊めて貰った。そして島の人が食べているものと同じ、湖で取れた鱒など、質素ながら美味しい食事を頂いた。
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お面をつけて踊る島のお祭りの様子。踊っているのは全て男性

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広場に集う女性たち

島の夜は早い。電気がないので暗くなったら眠るだけ。島民は麦や芋、更には今ではダイエット食としすっかり有名になったキヌアなどを栽培するとともに、昔ながらの織物や陶器を作り生活を営んでいた。
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島の一番高い丘の上に立つ小規模な遺跡
 

数百年前に遡ったような村で一晩を島で過ごし、後ろ髪を引かれる思いでアマンタニ島を後にしプノに戻る。次なる目的地はボリビアの首都ラパスだ。コパカバーナを経由し陸路で国境越え。途中、筏のような船にバスごと乗せて湖を渡って対岸へと向かう。
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バスやトラックを不安定な船に載せて湖を渡る。左側に見えるのがここまで乗ってきたバス。財産全てを詰め込んだバックパックは屋根の上

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 バスの乗客は別の船で対岸に向かう。船が沈む事も稀ではない

山あり、谷あり、川渡りあり。いつ壊れるか、沈むか分からない、おんぼろバスでのアンデスの遥かなる旅はまだまだ続く。

いよいよボリビアへ。続きはこちら



ワンポイント・アドバイス


地域のお祭り


旅先で偶然にもお祭りに出くわすと、とても得した気分になります。その土地の文化や風習を深く理解する、またとない機会であると共に、そこに暮す人達の普段とは異なった一面を眼にする事が出来ます。一日違いで祭りを見そこなったというのは非常に残念。そこで、時間に余裕がある長旅でも、短期間の旅でも、事前に催し物のカレンダーをチェックすることをお勧めします。想像もしていなかった経験が出来る事があります。その一方で、祭りの期間中は、一時的に治安が悪くなることもありますので、充分お気をつけください。
Potosi
(ボリビアのポトシという鉱山の町での祭りの様子)

By Nick D